個人主義社会とお金

『個人』は、本来日本語にはなく(たぶん)、明治になって翻訳された単語である(たぶん)。
個人は英語のindividualの訳語で、分割できるという意味のdividualに、否定を意味する接頭語のinが付き、それ以上分割できないという意味である。

キリスト教の認識では、人間は『神』に導かれ、正しき信仰によって、神と契約を結んだ自由な一個の独立した精神である。孤立した存在ではなく、完全な他者である『神』とつねに寄り添うのが個人である。
そして、神を信仰する個人を不可侵のものとして尊重するのが個人主義であり、そんな個人が互いに契約によって結びつき合う社会が、個人主義社会である。それが本来の意味である。

教科書などではそう説明されるものの、非キリスト者である日本人には、やはりわかりづらい。だからこそ、『個』という漢字の持つ意味が先行し、日本語で個人主義というと、自分さえよければ他人はどうなってもいいというような考え方を意味するようになった。
そして、そんな人間が作り出す社会が、日本的個人主義社会である。

そういう個人主義社会では、お金が、神の役割を果たすのではないかと思う。
頼れる他人はなく、全てをお金で解決しなければならない。何をするにもお金が必要となると、どんな支出が必要になるかわからない未来は、どこまでいっても不安でしかない。
安心をえるためには大金を得るしかないし、企業のための苦痛でしかない仕事から解放されるには、やはり大金を得るしかない。

法律で守られた私有財産は不可侵の存在であり、互いのお金に導かれるようにして、就職先や結婚相手、老後など、人生の重要な選択が決定されていく。
個人主義社会とお金とは、親和性が極めて高い。
人間同士の連帯をバラバラにし、個人を作り出すことで、そこに大きなビジネスチャンスが生まれてくる。
テレビや電話が一家に一台だった時代と、一人に一台持つような時代では、その利益は比べるまでもない。
家族で経営を行う家業は衰退し、個人が企業に雇われるのが普通になり、生まれた土地を離れて一人で暮らすようになれば、その分、家や家財道具、家電が必要になり、ものが売れる。また、知らない土地で知り合いもなく、貸し借りができないため、全てを自前で買い揃えなければならない。

企業は経済合理性を何よりも大切にし、合理化を続けていく。従業員は、企業を守るために、合理化の名の下に整理されるのを受け入れていく。
個人主義になればなるほどお金を求め、お金を求めれば求めるほど、個人主義は強化されていく。
現代社会は、この両輪に支えられて、成長路線をひた走っているのではないだろうか。

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