森林について思うこと

まんのう町は、その面積の半分以上が山や森になっている。
今年の11月19日には、満濃公園で全国育樹祭も開催されるし、香川県では、森に親しみを持つように様々な啓発活動が行われているが、どうにも心に響いてこない。

森と人間との関係を知りたくて、森林ボランティアとして月に一回程度活動を始めてみた。
しかし、その活動を通じて分かってきたことは、森の重要さよりも、逆説的に森というものが現代社会にとって不要なものでしかないという現実だけが明かになってきたのではないかと思う。

森とうまく付き合っている人も、わずかながらにいて、そういう人たちの生活は実にうまく森と調和している。
森に入り、間伐材を薪にして、風呂や囲炉裏のたき付けにしたり、自家消費を越える分については、炭を焼いて、産直市で売って現金に換える。
山に薬用の樹を植え、それを健康茶の原料として販売したり、ナメコやシイタケを育てたり、ニホンミツバチを飼ってハチミツを採ったり、イノシシを捕まえて捌いて食べたり。食べきれない分は近所に配る。
川の上流から水を引き、生活用水にしたかと思えば、庭には山からの湧き水があって、米を含めたいろんな作物を育てて、一部は健康志向のおしゃれなカフェに卸したり、マルシェで販売したりとさまざまな活動を精力的に行っている。

そういう生活をしようと思えば、お金では買えないきれいな水のある環境はもちろんのこと、薪を燃料として利用可能な家であったり、イノシシを解体する作業場や技術(度胸?)、無農薬で作物を育てるノウハウや、作物に応じた独自の販売ルートなど、さまざまなものが必要となってくる。

しかし、それらは現代社会の主役である都市サラリーマンにとって、全て不要なものばかりである。
水がどんなに汚れていても、それを上回る能力の浄水場があるし、風呂や部屋の暖房は、国策企業が提供する電気やガスの供給スイッチ一つで事足りる。食べるものは自分で作らなくとも、外国から安く買えば良い。
工場で作られたプレキャストコンクリートのマンションに、建材としての木材や薪など必要ないのだ。

現代社会は、そういった高水準な生活を推奨してきたのではなかっただろうか。
森を大切にしましょうといいながら、しかし、その実、森を不要とする方向に突き進んだのではないだろうか。
だからこそ、そんなお題目に虚しさしか感じることができない。

燃料や食糧、水を供給する場所としての森は早くから不要になり、1立米が1,8000円程度にまで木材価格が低下した結果、木材供給としての森も不要になりつつある。
そうすると、森というのはただやっかいな存在であり、伐採してメガソーラーやゴルフ場、工場用地などにしてしまうか、最終処分場や斎場などの社会の裏方としての役割を付与することでしか経済的な価値を見いだすことができなくなってしまった。その結果、水の汚染や、土砂の流出を招いたとしても、それはたんなる補償問題となって、お金で解決されていく。
それが、知性あふれる人たちが消費経済によって主導されて、機械仕掛けのように進んでいく社会なのだ。

4 thoughts on “森林について思うこと”

  1. 私の実家は千葉県ですが、小さい頃はゴルフ場が周りにたくさん作られていました。最近では、メガソーラーをよく目にするようになった気がします。地元の友人に聞いてみると、東京の方から営業の人がやってきて、地主のお年寄りに対し、メガソーラーがいかに将来性のある技術で、いかに地方を豊かにするかを訥々と語ったそうです。

    真の豊かさは経済的価値で測ることは出来ないけれど、資本主義社会にどっぷりと使った都市有識人からすれば、そんな豊かさは掴みどころがないし、Amazonプライムで見るTVドラマや洒落たイタリアンレストランで摂るディナーに比べてずっと薄味なものに感じられるのでしょう。

    そもそもそういった豊かさを実体験として知らない都市部の人たちからしたら、地方というのは、極めて閉鎖的で、洗練されていない、けれど何やら不気味でグロテスクなものなのかもしれませんね。

    1. Sさん、コメントありがとうございます!

      メガソーラーってなにもしなくても、お金になりますからね。
      東京だとお金がないと生活できないから、楽にお金を儲けられれば、楽に生きられますからね。
      増えるのも仕方ないです。

  2. いつも、興味深く拝見しております。
    都会(及び都会での生活を理想とする社会)では、森林はただやっかいな存在というお話、確かにそうかなと思いました。
    自分は都会の生活が好きで、今も都会に住んでいます。その意味では、森林が破壊されても、(直接的には)何も困りませんし、なんならコンパクトシティ化により皆都会に住めばいいとさえ考えています。
    その考えを推し進めていけば、人が住む都会と、(国立公園のような)保護された自然、という完全な棲み分けされた世界もありなのかな、と考えています。おそらく、とみやまさんとは対立する意見だと思いますが笑

    1. tornecoさん、コメントありがとうございます!

      都市か山里のどちらに住むのが好きかは、朝食にご飯とパンのどちらを選ぶかと同じように個人の好みだと思います。
      今のまんのう町だと車は必須なので、運転できなくなると生活できなくなる問題がありますが、徒歩圏内にすべてが揃うコンパクトシティだと、そのあたりが解決されるので、そういう方向に向かうのもありかもしれませんね。

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