『個人』は、本来日本語にはなく(たぶん)、明治になって翻訳された単語である(たぶん)。
個人は英語のindividualの訳語で、分割できるという意味のdividualに、否定を意味する接頭語のinが付き、それ以上分割できないという意味である。
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個人主義社会とお金
山の生活に必要なものなどを紹介しています
『個人』は、本来日本語にはなく(たぶん)、明治になって翻訳された単語である(たぶん)。
個人は英語のindividualの訳語で、分割できるという意味のdividualに、否定を意味する接頭語のinが付き、それ以上分割できないという意味である。
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「○○の本質が分かっていない」とか、「○○の本質は、何か?」といったことを見聞きするが、物事のすべてに不変かつ普遍の“本質”が存在するということがあり得るのだろうかと疑ってしまう。
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まんのう町の地域おこし協力隊として働き始めて、ちょうど4か月が過ぎた。
まんのう町の人たちに共通する思いは、まんのう町を活性化することだが、その方法については、大きく分けて二つの意見があるように思う。
一つは、大企業などを誘致することによって雇用を促進して活性化する方法と、もう一つは、豊富な地域資源を利用して活性化する方法だ。
Continue reading “自然と人間の関係”
地域おこしの文脈で、“本当の豊かさ”とは何か?という問いについて論じる記事をよく見かけるが、豊かさの基準は、時代や地域あるいは人によってまちまちなので、結局のところ、その問いかけは、そういった記事を書いた人が何を豊かと感じているかを表明したにすぎない。
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先日、琴南の県有林へ間伐しに行ったとき、県職員と作業ボランティアの間で、ちょっとした意見の対立があった。
県有林は平成元年にヒノキを5.4haほど植林したヒノキ林だけれども、広葉樹もところどころ混じっていて、その広葉樹がヒノキの生育に影響が出ている箇所をどうするかが問題になった。
Continue reading “質から量へ”