9月17日曇り
かがわ・山なみ芸術祭2016のまんのうエリアが開幕しました。
今年の三月に閉校になったばかりの旧琴南中学校体育館で開会式を行ったあと、地元の古老と、郷土史研究家との座談会がありました。
そこで語られた牛の話が、とても興味深かったので、披露したいと思います。
まんのう町の琴南地区から徳島の美馬にかけては山間地域が広がり、水田が一枚もないところがあります。
そういったところは、山の草で牛を飼い、春秋の田起しの時期にだけ、牛を讃岐の平野部の米農家へ貸し出しました。
讃岐の平野部は稲作が盛んなため、牛の餌になる稲ワラが大量にあったのですが、製塩も盛んだったため、ワラを牛に食わせるよりも、ワラで塩を運ぶためのカマス(袋)をこしらえた方が儲かったそうです。
そのため、平野部の米農家は牛を飼わず、田起しなどの時期になると、その代わりに山から牛を借りてきて農作を行い、その牛をカリコ牛と呼びました。
カリコ牛は年間に3ヶ月ほど酷使され、使役が終わった牛は、背中に1石ほどの米俵を積み峠を越えて山へ帰ってきたそうです。1石の米は150kgあり、一日当たりに換算すると410gです。これは2.7合なので、1石あれば、一年間の米には困らなかったはずです。
水田のない地域が米を手に入れる手段は、日本全国にいろいろあったと思いますが、まんのう町界隈ではカリコ牛という文化を生み出したようです。
しかし、哀れなくらいやせ細るので、牛が大切な人は、貸し出さなかったし、平野部に送り出すときに涙を流す牛もいたそうです。
また、瀬戸内海の稲作に不向きな島では、島牛という同様のことが行われていたようです。牛島という島があるので、そこではそういったことが行われていたのだろうと容易に想像できます。
そうやって、香川県という地域は、平野と海と山とが、船や峠で結ばれ、交流が続いていたと考えられます。
日本一小さな県でありながら、山間地域と平野と海があり、小さいからこそ移動が容易なため、それらの魅力を十分に楽しめるのではないかと思います。
他にもいろいろな作品が展示されていたので一部を紹介します。