祭り

先日、誘われるままに地域のお祭りを見に行った。
屋台が出ないから観光客もなく、本当にその自治会の人しか参加しないストイックな祭りだった。

神社に奉納する獅子舞
神社に奉納する獅子舞

獅子舞が自治会の家々を回るので、それに同行するかたちで地域をねり歩いた。

子供たちは太鼓をたたき、大人たちが鐘を打ったり、獅子で舞ったりする。中学生か高校生くらいの男の子が、舞う獅子の後ろで、こっそり練習をしていた。話を聞くと、みな太鼓から習い始めて音を覚え、鐘を経て、獅子をやるようになるそうだ。

獅子は動きっぱなしなので、一軒終わると、獅子役の人は肩で息をしている。
軒数が多いので、それぞれ役を交代しながら進めていくが、家を回ると、だいたいその家の家主が、獅子役をやったり、鐘を鳴らしたりして、自分の子供たちの前でその芸を披露する。
子供たちは、父親や祖父が、飛び入りで参加してもうまく役をこなす様子を、尊敬のまなざしで見ていた。
そんな子供たちも数年、数十年後には、彼らの父や祖父のようになっていくのだろう。

もちろん、ぼくのように、地域の祭りよりも、受験勉強や、そのあとに続く、いい会社への就職の方に価値をおいて、地元を離れる子供たちもいるだろう。
それでも、そのとき抱いた父や祖父への尊敬を忘れないで欲しいと思う。

やすこ舞
やすこ舞

畑や水田の間を、祭りの一団と歩きながら、ぼくは漠然と、田舎の子供たちは幸せだと思った。
親や先祖から家業や田圃を引き継いで地域の一員となっていき、また、それを次の世代へと伝えていく。その連続した時空の中で、自分自身のかけがえのない役割を見いだすことができるだろう。
そこに生きる意味を答えてくれる時空があるような気がした。

それに引き替えて、都会の子供たちはどうだろうか。
サラリーマン家庭では、その身分は一身限りなので、親から受け継ぐものは、マンションの一室くらいであり、その部屋も親が勤める企業の都合で、転々としていく。
挙げ句の果てには、交通量が多くなるとか、騒音がするとかで、保育所は開設すら許されず、子供たちは邪魔物としてしか扱われない。

子どもを預けられる場所も人もおらず、すべてがバラバラになった個人の集合体が、互いを物のように扱いながら、誰からも尊敬されることなく、そしてそうであるからこそ、それに反比例するかのように自分の事だけを考えていく社会と、そこで育てられる子供たちが、かわいそうに思った。

お神楽
お神楽
ひしゃくで酒が振る舞われる
ひしゃくで酒が振る舞われる

夜には神楽があり、酒が振る舞われ、宮司が今年の米の出来具合について話をした。
そして、車で来ていたアウトサイダーのぼくは、その酒を断るしかなかったのが、残念だった。

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「祭り」への2件のフィードバック

  1. 地域のお祭りは、私も子供の頃はよく参加していました。自分よりもずっと上手に太鼓を叩く上級生や大人を、どこか尊敬の眼差しで見つめていたように思います。今、私の周りにあの頃の純粋な気持ちで尊敬できる大人はいません。

    同じ地方に身を置きながら、ご自分のことをアウトサイダー(よそ者)と呼ぶブログ主さんの、地域社会や過去の都市生活との距離の置き方が印象的でした。

    1. コメントありがとうございます!

      私の実家の方でも体育の日に祭りがあって、小学生の時まで太鼓をやっていたので、12年ぶりくらいに祭りを見に行ったんですよね。

      そうしたら、体育の日って、今は、三連休の最後の月曜日じゃないですか。なので、いつの間にか、祭りは体育の日の前の土日にやるってことになっていて、体育の日に実家に帰省したんですが、後の祭りでした。

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