山崎直子さん講演会「宇宙、人、夢をつなぐ」

まんのう町合併10周年記念ということで、元宇宙飛行士の山崎直子さんの講演会がありました。

講演が始まってまず、しゃべり方や抑揚の付け方などから、とても講演慣れされているなと感じました。
内容としては、まず子ども時代から始まって、宇宙へ至るまでの過程が語られました。

山崎さんは、1972年に松戸市で生まれ、お父さんが自衛官だったため、小学校2年生までを札幌で過ごされたそうです。
札幌では星がきれいに見え、望遠鏡で月のクレーターや土星の輪を見て感動したことが原体験になったそうで、子どもの頃の原体験が今後の将来に大きな影響を与えることを強調されていました。

松戸市に戻ってからは、地元に出来たプラネタリウムに通って星の話や、アニメの宇宙戦艦ヤマトに夢中になっていたそうです。

中学の時に、松戸市がアメリカの少女と文通する人を募集していたのに応募して、写真を交えながら文通するうちに、アメリカの風景に魅せられ、いつか行ってみたいとあこがれたそうです。

1986年、中学3年生の時に、スペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故があり、そのニュースでスペースシャトルを知り、漠然と宇宙に行きたいと思うようになったそうです。

その後、高校に進学し、テニス部でテニスに明け暮れたそうですが、それが後々の宇宙飛行士の訓練と共通することが多かったそうです。たとえば、仲間と励まし合いながら練習するというような点が同じだったそうです。

過去の事実はたいてい現在の状況を矛盾なく説明するために、現在の価値観に従って読み替えられるのが普通なので、ここまで語られた子どもの頃の体験や思ったことが、事実かどうかはより慎重な判断が必要なのかもしれませんが。

東京大学では航空関係の学科に進学し、憧れのアメリカへ1年間の留学に行かれました。
そこで、70歳で自家用ヘリコプターにのるおばあちゃんに出会い、いくつになっても何でも出来ることに勇気をもらったそうです。

宇宙飛行士の候補生の試験では一回目は書類落ち、二回目で合格して候補者のリストに載ったそうです。
そこから11年間の学習と訓練が始まります。

業務のうち、自分が宇宙に行くための訓練は3割で、残り7割は先輩飛行士と地上との交信などをサポートする業務だそうです。
しかも自分の訓練も、操縦訓練や実験の練習、船外活動など実際に宇宙で作業するための訓練は1割程度で、残り9割は、非常事態を想定した訓練になるとのことです。
自分で虫歯を抜歯する訓練や、帰還船のソユーズが厳冬の雪原や海上に不時着した場合を想定した3日間のサバイバル訓練、さらには海上に迎えに来たヘリコプターが墜落したときに脱出する訓練など、過酷な訓練もあるそうです。
けれども、もっとも辛かったことは、いつ宇宙に行けるかが分からない心理状態で、備え続けることだったそうです。

そんな状況の中で2003年に再びスペースシャトルの事故が起こり、いつ再開するか分からないため、2004年にNASAの19期生なったときのチーム名は、飛べない鳥のクジャクを意味するpeacockだったそうです。

その後、2010年にディスカバリー号で宇宙へ行かれました。
下積みは11年でしたが、打ち上げから宇宙に行くまでは8分30秒しかからず、無重量状態になったときは、どこか懐かしい感じがしたそうです。

宇宙船内では、整理整頓が大変らしく、カメラからペンの一本に至るまでバーコードをつけて員数の管理を行い、マジックテープ(面ファスナー)をつけて壁に固定するそうです。

宇宙食は加工食品のため、毎日食べ続けると、生の野菜や果物が欲しくなってくるそうで、補給船に乗ってくる果物が非常に楽しみだそうです。

山崎さんは2週間ほどの滞在だったので、地球に帰ってきたときは、2時間くらいで歩けるようになったそうですが、頭に漬け物石が乗っているような感覚で、紙一枚持ち上げるにも重いと感じたそうです。
特に、宇宙で何ヶ月も生活する人は、帰還の初日はまず歩けないそうです。

最後に、宇宙教育として、宇宙への関わり方は宇宙飛行士や、エンジニアだけでなく、たとえば宇宙食文化など幅広く用意されているので、宇宙に興味ある人は、自分のやり方で宇宙と関わって欲しいとおっしゃっていました。

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