旧石器時代と車社会

香川県には国分台遺跡という旧石器時代の遺跡がある。
この遺跡が、県内で最古の遺跡であり、約二万年前から長い間、そこに人が住み続けたらしい。
彼らが使っていた石器は、翼状剥片という特殊な形状をしたもので、中国地方で開発された後期旧石器時代の先端技術でもある瀬戸内技法によって作られた高度な石器だった。

中国四国地方では、サヌカイトと呼ばれる石が産出され、瀬戸内技法による翼状剥片は、このサヌカイトの性質により、もたらされたものだという。しかも、サヌカイトにもいくつか種類があるため、瀬戸内技法が適合するサヌカイトは限られるらしい。
そのため、香川県内で、サヌカイトが産出する場所はいくつかあるものの、瀬戸内技法に適合するサヌカイトは国分台でしか産出されなかったため、中国地方からやってきた旧石器人たちは、国分台で生活することとなったようだ。

ここまでは、歴史の本で読んだことだが、石器時代に対する認識を改めることになった。
それまで石器時代というのは、人間が石器を使って生活していた時代だから石器時代と呼ぶものと思っていた。
しかし、石器を製作する技術と、それに適合する素材が、人間の生存を左右する時代、もっと簡単に言えば、石器に依存しなければ生活できない時代を石器時代と呼ぶのだと気が付いた。

瀬戸内技法ほど高度な技術でなくても、石器を作る技術はいくらでもあったはずで、その中でも簡易な石器は素材の選択幅が広いだろうから、生活範囲を広げることもできただろうが、しかし、彼らはそうはしなかった。あくまでも瀬戸内技法にこだわり国分台に住み続けたのである。おそらくは、それが高度な技術ゆえ、その性能や使い勝手がよく、わざわざ他の方法による“劣った”石器を使う不便さを我慢してまで、生活範囲を広げようとは考えなかったからではないだろうか。
それは、つまり二万年前の人間たちも、一度手にした便利な技術を手放すことは難しかったということではないだろうか。そして、その便利な技術に頼るあまり、生活の範囲を限定してしまう結果になった。言い換えれば、それだけ、彼ら自身の生活する力が“弱く”なってしまった。

こういったことは現代の自動車やインターネットにも当てはまる気がする。
かつてはどんな山間部であっても自動車はなかった。なかったからこそ、なくても大丈夫なように社会ができていた。
歩いて行ける範囲(といっても数十kmはあるだろう)に、生活に必要なすべてがそろっていて、手に入らないものは、行商が街道を通って歩いてやってきた。そういう旅人が泊まるための宿場もあった。
それが、自動車を使うようになって、道は、自動車が高速で通り過ぎる道路になった。行商も商店も宿場も消え、平地のスーパーマーケットが栄える一方で、自動車がなければ生活に必要な物資を買いに行くことすらできない社会に変わっていった。
かつては自動車がなくても大丈夫な社会だったのが、今、自動車を抜きにしては生活ができない。
インターネットも同様で、インターネットがなければ成り立たない社会ができつつある。

技術というのは、誕生した当初は単に便利なものという認識かもしれないが、その便利さに依存し、それらを前提として社会ができ始めれば、それらがなければ生活ができないようになっていく。
便利な技術を作った人たちは、善意でやっているのだろうが、結果として人間の生活や社会の在り方を大きく変えていく。そういう意味で技術と社会とは無関係ではありえない。

地方は車社会だとよく言われる。
それは単に、一人に一台の自動車が必須になる社会と考えられているけれども、逆に言えば、車がなければ生活できないように作られた社会、つまり車の販売台数を維持するために作り替えられた社会なのではないだろうか。
日本は世界一の自動車輸出国であり、自動車の販売台数は、何よりも優先されるべき課題である。そうすれば、日本のいたるところで自動車が優先する社会が作られていくのは、当然であったのかもしれない。

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